幕末維新の群像

幕末維新の群像  横井小楠は文化6(1809)年、熊本藩士横井時直の次男として誕生。藩校時習館(じしゅうかん)に学び、居寮長に抜擢された秀才でした。天保10(1839)年、藩命で江戸に遊学。幕府儒官の林檉宇(はやしていう)門下生となり、水戸藩士藤田東湖(とうこ)ら諸藩の士と親交を結びました。帰藩後、私塾小楠堂を開き徳富一敬(とくとみかずたか)(蘇峰、蘆花の父)ら多くの門人を輩出、吉田松陰も塾を訪れています。
 安政4(1857)年3月、福井藩主松平春嶽(しゅんがく)に請われ、福井藩の改革指導に臨みます。小楠は鎖国や幕藩体制を批判し、新しい国家体制の実現を目指すとともに、実学として近代産業を育てる殖産興業の普及を訴えました。福井藩士由利公正(ゆりきみまさ)に物産商会所を作らせ、茶、麻の生産、生糸織を広めるため農村での養蚕を奨励し、数年後に貿易高3百万両となり、財政建て直しを成功させました。
 小楠は、文久2(1862)年、『国是7カ条』を春嶽に提出、幕藩体制の否定と雄藩連合による政治体制の確立等を唱えています。維新後、新政府の参与に就任しましたが、明治2(1869)年、京都(寺町通丸太町下ル)で暗殺されました。享年61歳。墓所は京都市左京区の南禅寺天授庵。