幕末維新の群像

幕末維新の群像  高杉晋作は天保10(1839)年、長州藩士高杉小忠太の長男として誕生。嘉永5年(1852)に藩校の明倫館に通う一方で、吉田松陰の「松下村塾(しょうかそんじゅく)」に入り、久坂玄瑞と並んで「松門の双璧」と称されました。
 文久2(1862)年の上海渡航で、欧米列強に支配される中国を目の当たりにし、危機感を抱いた晋作は、帰国後、英国公使館を焼き討ちし、翌文久3(1863)年には、身分を問わず参加を認める「奇兵隊(きへいたい)」を結成しました。
 元治元年(1864)、長州藩の俗論派を打倒するため下関の功山寺で挙兵、勝利し藩の実権を握ります。慶応2(1866)年の第2次幕長戦争では、海軍総督として「丙寅丸(へいいんまる)」に乗船して指揮をとり、周防大島の奪還や艦砲射撃によって奇兵隊を門司に上陸させ、幕府軍を撤退させました。
 その後、肺結核が悪化し、下関の吉田(東行庵)に隠居。慶応3(1867)年5月死去。享年29歳。墓所は下関市吉田。