幕末維新の群像

幕末維新の群像  陸奥宗光は、天保15(1844)年に紀州藩士・伊達千広の第6子として和歌山城下で生まれました。父は藩の要職に就いていましたが、宗光が9歳の時に政争で失脚したため、宗光は以後不遇な少年期を過ごしました。文久2(1862)年に紀州藩を脱藩し、翌年勝海舟の主宰する海軍塾に入り、坂本龍馬と知己を得ました。その後も龍馬と行動を共にし、海援隊の商業活動で手腕を発揮しました。
 大政奉還後の慶応3(1867)年11月15日に龍馬が暗殺されると、その黒幕を紀州藩の三浦休太郎(安)と考え、同年12月7日に海援隊・陸援隊の有志で京都油小路の天満屋を襲撃しました。休太郎は佐幕派の重鎮であり、幕府の勢力挽回に努めていました。休太郎を護衛していた斎藤一ら新選組と激しい戦闘になり、複数の死傷者が出ました。
 宗光は、のちに外務大臣として不平等条約の改正に尽力し、日英通商航海条約で領事裁判権の撤廃と関税自主権の一部回復に成功しました。享年54歳。墓所は鎌倉市の寿福寺。