幕末維新の群像

幕末維新の群像  小松帯刀は天保6(1835)年、薩摩藩士の肝付兼善(きもつきかねよし)の三男として誕生。13歳より漢学者横山安容のもとで儒学を修め、安政2(1855)年、21歳で薩摩藩の奥小姓・近習番勤になり、翌年、小松清猷(きよたけ)の養子となって家督を継承しました。
 文久元年(1861)、小松は長崎でオランダ軍艦に乗船し、操船術や水雷砲術を習得、藩幹部の前で水雷爆発を実演したことで、島津久光(ひさみつ)のもとで改革御用掛となり、大久保利通とともに藩政改革に取り組みました。
 文久2(1862)年、久光の随行として上洛、帰国後は家老として藩の実権を掌握。朝廷や幕府、諸藩との連絡、交渉役を務めました。
 慶応2(1866)年、西郷隆盛とともに木戸孝允との間に薩長同盟を結びました。
 慶応3(1867)年10月、徳川慶喜が大政奉還を表明した際は、藩の代表として徳川慶喜に将軍辞職を迫りました。維新後は、参与、総裁局顧問等の要職を歴任します。明治3(1870)年、大阪で病死。享年36歳。墓所は鹿児島県日置市の小松家歴代墓所。