幕末維新の群像

幕末維新の群像  蘭学、西洋兵学に通じ、咸臨丸艦長として日米通商航海条約批准のため使節と共に太平洋を横断しました。帰国後は神戸に軍艦操練所を創設し、広く人材を育成して海軍創設に尽くしました。慶応4年(1868年)官軍東下にあたり、旧幕府の陸軍総裁として征東軍に対して旧幕府側を恭順に誘導し、東征軍の参謀西郷隆盛と折衝し、江戸城の無血開城、徳川家の家名存続等、明治維新への平和的転換に尽くしました。慶応4年(1868年)、慶喜公とともに駿府に入り、明治5年(1872年)に東京に移るまで4年間家族と共に駿府に暮らしました。享年77歳。墓所は東京大田区の洗足池公園。静岡市葵区の蓮永寺には、海舟の母と妹の墓所があります。