幕末維新の群像

幕末維新の群像  伊藤博文は天保12(1841)年、周防国(山口県)の農家林十蔵の長男として誕生。貧しい暮らしで12歳から奉公に出されましたが、父が長州藩足軽の伊藤弥右衛門の養子となり、博文も足軽となりました。
 安政4(1857)年、吉田松陰の「松下村塾(しょうかそんじゅく)」で学び、高杉晋作や井上馨らと出会います。文久3(1863)年、井上馨らと共に長州5傑の1人としてイギリスに渡航、英語を学ぶと同時に海軍施設や殖産技術を見学、諸外国と日本との圧倒的な国力の差を目の当たりにし、開国派として目覚めました。
 元治元年(1864)、米英仏蘭4箇国連合艦隊による長州藩攻撃が近いことを知ると、井上馨とともに急ぎ帰国、戦後は通訳として和平交渉に参加しました。
 第一次幕長戦争で長州藩が幕府に恭順の姿勢を見せると、高杉晋作らと共に挙兵し、藩の主導権を握ります。
 明治政府では、内閣制度を創設し初代内閣総理大臣に就任。大日本帝国憲法の制定を指導しました。明治42(1909)年、中国のハルビン駅頭で韓国の独立運動家安重根により暗殺されました。享年68歳。墓所は東京都品川区の伊藤家墓所(区指定文化財)。