幕末維新の群像

幕末維新の群像  板垣退助は天保8(1837)年、土佐藩上士の乾正成(いぬいまさしげ)の嫡男として誕生。文久2(1862)年には江戸に出て山内容堂(やまのうちようどう)の側用人をつとめます。
 板垣は土佐藩上士としては珍しく武力倒幕を主張。慶応3(1867)年には中岡慎太郎(なかおかしんたろう)の斡旋で薩摩藩の西郷隆盛と薩土盟約を結び、倒幕に当たることを約します。
 戊辰戦争では東山道先鋒総督府参謀として、近藤勇率いる甲陽鎮撫隊を撃破するなど各地を転戦し、会津を降伏させますが、維新後に賊軍となった会津藩の名誉回復に奔走しています。
 明治政府では参議となりますが、明治6(1873)年に西郷隆盛らと征韓論を主張して敗れ下野、のちに立志社を創立し自由民権運動を展開します。明治14(1881)年に自由党を結成して党首になりますが、翌年、岐阜遊説中に暴漢に襲われ「板垣死すとも自由は死せず」の名言を残しました。
 大正8年(1919)死去、享年83歳。墓所は東京都品川区にある品川神社裏の旧高源院。