幕末維新の舞台

大阪市

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 大阪市は、1889年に市制が施行され、現在は人口269万人、多くの人や物が行き交う街です。かつて「天下の台所」と言われた大阪では独自の文化も発達し、今もその名にふさわしい、にぎやかで楽しくて美味しい街であり、たくさんの魅力があふれています。

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大阪市からのメッセージ

 幕末・明治維新の時代の舞台として、大阪も重要な地でした。現在、大阪のシンボルである大阪城天守閣において「幕末・維新150年」キャンペーンを実施し、当時の出来事や活躍した人物、ゆかりの場所などを紹介しています。大阪の魅力あふれる歴史に触れてみませんか。皆様のお越しを心よりお待ちしております。

幕末維新の舞台

1. 大阪城(特別史跡 大坂城跡)

 大坂城は、徳川幕府直轄の城として重要視され、14代将軍徳川家茂が長州戦争を指揮し、最後の将軍徳川慶喜が欧米諸国と交渉を重ねた場所です。慶応4年(1868)に勃発した戊辰戦争のさなか、本丸御殿をはじめ数ヶ所から出火し城の大半は燃え落ちました。
大阪市中央区大阪城

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2. 泉布観(重要文化財)

 大阪市内に現存する最も古いの洋風建築のひとつで、国の重要文化財に指定されています。イギリス人のウォートルスが設計監督をつとめ、明治4年(1871)に造幣寮(造幣局)の応接施設として建設されました。イギリスの古典的なコロニアル式をとり入れた2階建の建物で、完成の翌年に明治天皇が訪れ、ここを「泉布観」と命名しました。「泉布」は「貨幣」、「観」は「館」を意味します。
大阪市北区天満橋1-1-1

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3. 天保山

 標高4.5mの日本一低い山として有名な天保山は、天保2年(1831)から翌年にかけて行われた安治川の浚せつ工事で出た土砂を盛りあげてできた人口の山で、桜が植えられるなど市民の憩いの地になりました。
 慶応4年(1868)1月の鳥羽・伏見の戦いで新政府軍が勝利すると、その報せを受けた徳川慶喜はわずかな側近だけを連れて大坂城を脱出し、天保山沖で軍艦に乗り江戸へ向かいました。その数ヶ月後には、明治天皇がここでわが国最初の観艦式を行っています。
大阪市港区築港

見どころ(名所旧跡等)

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1. 難波宮跡公園(史跡 難波宮跡)

 「大化改新」ののち、孝徳天皇により造営された難波長柄豊碕宮(前期難波宮)と、聖武天皇によって再建された難波宮(後期難波宮)の、ふたつの時期の宮殿遺構があります。現在は史跡公園として整備され、後期難波宮の大極殿基壇や前期難波宮の八角形建物などが復元されています。

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2. 茶臼山(天王寺公園内)

 5世紀築造の前方後円墳とみる説と、延暦7年(788)に和気清麻呂が上町台地を東西に横切る運河を掘ろうとした際に掘り出した土を積み上げたものだとする説とがあります。
 大坂冬の陣の際には徳川家康が本陣を置き、夏の陣では豊臣方の真田幸村が陣を布きました。

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3. 大阪市中央公会堂(重要文化財)

 北浜の株式仲買商岩本栄之助の寄付をもとに、大正2年(1913)に着工し、大正7年(1918)に竣工しました。美しい外観と内部意匠が歴史的建築物として極めて重要であるとの評価をうけ、国の重要文化財に指定された、大正時代を代表する名建築です。

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