幕末維新の舞台

京都市

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 京都は、1200年を越える悠久の歴史と山紫水明の自然の中で、伝統を守りながら、新しい創造を続けてきたまちです。
世界遺産に登録された寺院・神社、城をはじめ、京町家や歴史的な町並み、祇園祭などの祭事、能・狂言などの伝統文化、西陣織、京焼・清水焼などの伝統工芸品、食文化などは世界の人々を魅了しています。

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京都市からのメッセージ

 平成29年は、二条城において、徳川15代将軍慶喜が朝廷への政権返上を表明した大政奉還から150年を迎えます。京都市では、この機を捉え、幕末維新をテーマとした様々な記念事業に取り組みます。ぜひこの機会に、かつて京都で活躍した先人たちの歩みに、今一度思いをはせつつ、ゆかりの地を巡る旅に出かけませんか。

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1. 池田屋騒動之址碑

 元治元年(1864)6月5日、三条小橋の旅籠「池田屋」に集まっていた尊攘派の志士たちを、京都守護職配下の近藤勇ら新選組が襲撃した事件。肥後の宮部鼎蔵(ていぞう)、長州の吉田稔麿(としまろ)ら多くの志士が死亡。逃走した者も含め20名が翌日、会津、桑名藩に捕縛されました。志士たちの計画は御所へ火を放ち、一橋慶喜と会津藩主松平容保(かたもり)の暗殺、孝明天皇を長州へ連れ去ることでした。
碑は中京区三条通河原町東入。

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2. 坂本龍馬・中岡慎太郎遭難之地碑

 慶応3(1867)年11月15日、土佐藩の坂本龍馬と中岡慎太郎が、ともに刺客に襲われ暗殺された近江屋があったところです。龍馬は前年、京都伏見の寺田屋で幕府に急襲されたため、海援隊の本部があった酢屋から近江屋に移っていました。
 当日、夕刻に中岡が龍馬を訪ね、今後の政局等を論じていたところ、十津川郷士と称する者に襲撃され、龍馬はその場で絶命し、中岡も二日後に亡くなりました。暗殺には新選組説、京都見廻組説など諸説があり今も謎となっています。
碑は中京区河原町通四条上ル。

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3. 長州藩邸跡

 長州藩邸は江戸初期から、高瀬川一之舟入(いちのふないり)から御池通、河原町に至る広大な屋敷が置かれ、開国を迫る外国と幕府に立ち向かう尊皇攘夷派の重要な拠点となりました。元治元年(1864)の「禁門の変」で、幕府側の会津・桑名・薩摩等の諸藩との戦闘に敗れた長州藩は、自ら藩邸に火を放って京都を逃れました。藩邸から出た火で、市中は数日間燃え続け「どんどん焼け」と言われました。現在の京都ホテルオークラ前に藩邸跡の石碑、桂小五郎の像が立っています。

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4. 大村益次郎卿遭難之碑・佐久間象山遭難の地碑

 第二次幕長戦や戊辰戦争で活躍した大村益次郎は軍の近代化のため、幕府の兵部大輔(ひょうぶだゆう)に任じられ、軍制洋式化を主唱したため、京都出張中の明治2(1869)年9月に不満士族に襲われ、同年11月に大阪で亡くなりました。
 勝海舟や坂本龍馬ら多くの俊才を育てた佐久間象山は、元治元年(1864)7月、上洛中、この地で馬上にいたところを肥後の河上彦斎(げんさい)により暗殺されました。
碑は中京区木屋町通御池上ル。

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5. 京都御所

 現在の京都御所は、1331年に光厳天皇(北朝)が里内裏の1つであった土御門洞院殿を仮の御所としたことがはじまりで、南北朝合一を経て明治に至るまで約500年間、天皇の住まいでした。
 歴代天皇が即位した紫宸殿や新政府最初の会議である「小御所会議」の舞台となった小御所などがあります。
(参観は、要事前許可)
京都市上京区京都御苑内

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6. 蛤御門

 京都御苑にあった9つの門の1つで、もとは新在家御門と呼ばれ、常に閉ざされていましたが、江戸時代の「天明の大火」の際、初めて開いたことから「焼けて口あく蛤」にたとえられ「蛤御門」と呼ばれるようになりました。
 8月18日の政変で京都を追われた長州藩の急進派が入京し、元治元(1864)年7月に薩摩、会津、桑名等の藩兵と御所周辺で交戦しました。この門の周辺が特に激戦地であったことから禁門(蛤御門)の変と呼ばれます。
京都市上京区烏丸通下長者町上ル

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7. 薩摩藩二本松邸跡

 薩摩藩は160年間に及ぶ「錦小路藩邸(にしきこうじはんてい)」(錦小路東洞院)が手狭になったこともあり、文久2(1862)年に、御所と相国寺(しょうこくじ)に近い5805坪(約2万㎡)に「相国寺二本松藩邸(にほんまつはんてい)」を置きました。
 明治維新後、跡地は会津藩士山本覚馬(かくま)の所有となりますが、同志社英学校(現同支社大学)創立の際、新島襄(にいじまじょう)に安価で譲渡しました。相国寺東に「薩摩藩士之墓」があります。
上京区今出川烏丸上ル同志社大学西門前。

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8. 元離宮 二条城

 二条城は、徳川家康が、慶長8(1603)年に、京都御所の守護と将軍上洛時の宿所として造営した城で、京都における江戸幕府の権威の象徴でもありました。
 慶応3(1867)年10月、15代将軍慶喜は、二の丸御殿大広間にて政権を朝廷に返上するという「大政奉還」の意を表明し、徳川の世と武家政権の時代に幕を下ろす歴史的な舞台となりました。
 明治17年に離宮となり、昭和14年に京都市に下賜され、平成6年には、ユネスコ世界遺産に登録されました。
京都市中京区二条城町541

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9. 京都守護職屋敷正門

 文久2(1862)年に、尊攘派の浪士たちによるテロが横行するなど混迷する京都の治安維持のため、京都守護職が設置され、会津藩主の松平容保(かたもり)が就任しました。京都守護職屋敷は、翌文久3(1863)年に、現京都府庁のあたりに造営され、敷地は約3万坪でした。なお、正門が中京区油小路二条下ルに移築されています。

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10. 福井藩邸碑

 この辺り一帯は、江戸時代後期に福井藩邸がありました。幕末の藩主松平春嶽(しゅんがく)は、人材を登用し藩政改革を断行するとともに、文久2(1862)年に政事総裁職に就任し、将軍後見職に就任した一橋慶喜とともに幕政改革にあたり、公武合体の中心として幕末の京都で活躍しました。この藩邸は福井藩の活躍にとって大きな役割を果たしました。
中京区東堀川通二条下ル。

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11. 八木家 (新選組 壬生屯所旧跡)

 幕末、文久3年(1863)春、将軍徳川家茂の警護のために上洛した浪士たちは、壬生村に宿所を求めます。
 その後、近藤勇、土方歳三、沖田総司ら13人の浪士たちは「松平肥後守御領(まつだいらひごのかみおんあづかり)新選組宿」の表札を八木邸に掲げ、ここに新選組が誕生しました。
 奥座敷は、芹澤鴨(せりざわかも)が暗殺された場所で、現存する刀傷の一部がその凄惨さを物語っています。
京都市中京区壬生梛ノ宮町24

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12. 壬生寺

 壬生寺は、平安時代の正暦2(991)年に三井寺の快賢僧都(かいけんそうず)により創建されました。毎年、伝承行事として「壬生大念仏狂言」や「壬生六斎念仏踊り」双方とも(重要無形民俗文化財)が公開されます。
 新選組が屯所とした八木邸と前川邸の南にあり、隊士たちの兵法修練場にもなりました。境内の壬生塚には、局長近藤勇の像や芹澤鴨(せりざわかも)ら隊士の墓があり、多くの人が詣でます。
京都市中京区壬生梛ノ宮町31

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13. 京都霊山護国神社

 京都霊山護國神社は慶応4(1868)年、幕末の動乱期に活躍した志士たちの御霊を祀る御沙汰が明治天皇から発せられ、公家や諸藩の手により、ここ東山に墓所が造営されたことが始まりです。昭和14(1939)年に、現在の神社名になりました。
 坂本龍馬、木戸孝允、中岡慎太郎、久坂玄瑞、高杉晋作などの志士たちのほか、日清戦争、日露戦争、大東亜戦争などの戦死者も、お祀りされています。
京都市東山区清閑寺霊山町1

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14. 幕末維新ミュージアム 霊山歴史館

 霊山歴史館は、昭和45(1970)年に、幕末から明治維新期の歴史を主として研究する全国初の専門博物館として開館しました。
 坂本龍馬暗殺に使用したとされる刀や龍馬直筆の書状、近藤勇の鎖帷子(くさりかたびら)、高杉晋作の鉄扇などの志士たちの遺品をはじめ、孝明天皇の御宸筆(しんぴつ)や徳川慶喜、松平容保(かたもり)の関係資料など皇室や徳川幕府の史料も多数、所蔵・展示されています。
東山区清閑寺霊山町1

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15. 金戒光明寺

 平安時代の末、承安5(1175)年に、法然上人が最初に念仏道場を開いた場所で、「くろ谷さん」として親しまれる浄土宗の大本山です。
 幕末の文久2(1862)年に、京都守護職に任命された会津藩主松平容保(かたもり)が境内に本陣を構えたところで、その配下にあった新選組も出入りしていたといわれます。
 境内にある「会津藩殉難者墓地」には、「鳥羽伏見の戦い」など幕末維新にかけて命を落とした会津藩士352名が葬られています。
左京区黒谷町121

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16. 岩倉具視幽棲旧宅

 幕末の万延元年(1860)、当時孝明天皇の侍従兼近習であった岩倉具視は、高まる列強の圧力に対して国内の一致を図るため、天皇へ意見書を提出し、皇女和宮(かずのみや)の将軍家への降嫁を推進します。しかしそれにより尊王攘夷派から佐幕派の巨頭と見なされて失脚し、過激な攘夷派から命を狙われるまでに至ったため、元治元(1864)年から政界復帰する慶応3(1867)年までの間、幽棲(ゆうせい)したのがこの建物です。
 幽棲の末年には、坂本龍馬・中岡慎太郎・大久保利通らも当宅を訪れています。
 敷地内の「対岳文庫」(国登録有形文化財)には、具視ゆかりの品が展示されています。
京都市左京区岩倉上蔵町100

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17. 寺田屋

 寺田屋は、伏見にある船宿です。
 幕末、文久2(1862)年4月、関白九条尚忠と京都所司代襲撃のために集結した薩摩藩急進派の有馬新七らが、鎮圧に駆け付けた薩摩藩士たちと闘い有馬ら9人が討死した「寺田屋騒動」の舞台です。
 定宿としていた坂本龍馬も慶応2(1866)年、幕府(伏見奉行所)の捕方に襲われましたが、難を逃れました。
 寺田屋は、慶応4(1868)年の鳥羽伏見の戦いで焼失しました。現在の建物は、その後再建されたものです。
京都市伏見区南浜町263

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18. 御香宮神社

 平安時代、境内から「香」の良い水が湧き出たので、清和天皇から「御香水」の名を賜ったことが神社の名の由来です。
 境内には、徳川家が寄進した本殿や伏見城の遺構とされる表門が並びます。
 幕末、慶応4(1868)年の鳥羽伏見の戦いでは、薩摩軍が本陣を構え、すぐ南にあった幕府軍の本陣(伏見奉行所)へ砲弾を浴びせました。境内に「明治維新伏見の戦跡」碑が建っています。
京都市伏見区御香宮門前町174

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19. 孝明天皇 後月輪東山陵

 江戸時代最終期の天皇となる孝明天皇は、妹の和宮(かずのみや)を将軍徳川家茂に嫁がせるなど、公武合体の立場をとりました。
 第2次長州征討中の慶応2(1867)年12月、36歳で崩御され、皇室の菩提寺である泉涌寺「後月輪東山陵(のちのつきのわのひがしのみささぎ)」に祀られました。
京都市東山区今熊野泉山町

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20. 所司代屋敷跡碑

 京都所司代は、朝廷をはじめ西日本支配のための江戸幕府の行政機関で、その屋敷は、二条城北一帯の広大な敷地を占めました。
 元治元年(1864)、桑名藩主の松平定敬(さだあき)が京都所司代に任命され、会津藩主で京都守護職の兄・松平容保(かたもり)とともに、尊王攘夷の嵐が吹き荒れる京都の治安維持に努めました。
 京都所司代は、王政復古により廃止され、跡地には明治3(1870)年に我が国最初の中学校(京都第一中学校)が建てられました。
上京区猪熊通丸太町下ル(旧待賢小学校前)

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21. 平安神宮

 明治28年に、平安遷都1100年を記念して創建。
 平安京最初の天皇、第50代桓武天皇と平安京最後の天皇、第121代孝明天皇をおまつりしています。
 社殿は、平安京の政庁、朝堂院を8分の5の規模で再現したもので、朱塗りの柱と屋根瓦の碧に平安の面影が偲ばれます。
 神苑は明治の作庭家、7代目小川治兵衛の作で、四季折々の花が美しい池泉回遊式庭園です。10月22日には、京都三大祭の一つ、時代祭が行われます。
京都市左京区岡崎西天王町

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22. 京都守護職屋敷跡

 文久2(1862)年、京都の治安維持のため京都守護職が設置され、会津藩主松平容保が就任しました。文久3(1863)年に、約3万坪にも及ぶ京都守護職屋敷が造営されました。慶応3(1867)年に廃止され、その跡地に京都府庁が移転しました。
上京区下立売通釜座上る(京都府庁内)。

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23. 土佐藩邸跡

 元立誠小学校一帯は、元禄3(1690)年に建てたれた土佐藩邸のあったところです。武市半平太(瑞山)、坂本龍馬、中岡慎太郎、後藤象二郎らが各藩との連絡の拠点としていました。蛸薬師通西の土佐稲荷・岬神社に、坂本龍馬像があります。
京都市中京区木屋町通蛸薬師角。

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24. 酢屋

 酢屋は享保6(1721)年より290年余り続く材木商です。
 幕末、勤王の志士たちの理解者であった6代目酢屋嘉兵衛は、坂本龍馬や海援隊々士を命がけでかくまいました。龍馬は酢屋の2階に海援隊本部を置き、陸奥宗光や長岡謙吉など多くの隊士が投宿し、活動拠点としていました。
 龍馬は船中八策を持って酢屋に入り大政奉還を目指し、邁進しておりました。
 現在、龍馬が投宿していた2階に、龍馬と酢屋の歴史を紹介する「ギャラリー龍馬」を開いています。
 酢屋は、人・家・商売、ずっと変わることなく、今も生き続けています。
京都市中京区河原町三条下ル龍馬通

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25. 東本願寺

 正式名称は真宗本廟と言い、親鸞聖人を宗祖とする浄土真宗の本山の1つです。慶長7(1602)年、12代教如上人が徳川家康から寺地寄進を受け創立しました。
 創立以来、4度火災に遭い、元治元(1864)年、蛤御門の変で両堂が焼失した後、現在の両堂は明治28(1895)年に再建されたものです。
 文久3(1863)年には、一橋慶喜が上洛の際に東本願寺を宿所としました。

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26. 渉成園

 東本願寺の飛地境内地で、周囲に枳殻(からたち)が植えてあったことか枳殻邸(きこくてい)とも呼ばれています。
 寛永18(1641)年に3代将軍・徳川家光から当地が寄進され、石川丈山(じょうざん)の趣向を入れた作庭がなされました。
 文久3(1863)年、一橋慶喜が東本願寺に滞在した際、渉成園を訪れ、扁額「渉成園」の書を揮毫しました。また、14代将軍の家茂も、度々渉成園を訪れています。
 園内の諸殿は、蛤御門の変で焼失。現在の建物は慶応元年(1865)頃から順次再建されたものです。

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27. 伏見奉行所跡

 伏見奉行所に陣取っていた土方歳三率いる新選組や会津・桑名軍は,新政府軍を切り崩して墨染まで撃退します。しかし,新政府軍が「錦の御旗」を掲げたので幕府軍は戦意を喪失。伏見の町家に火を放ちながら淀方面へ敗走しました。

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28. 会津藩駐屯地跡(伏見御堂)

 鳥羽伏見の戦いが始まる前日夕刻,会津藩の先鋒隊約200名が,伏見京橋に上陸し,ここ伏見御堂を宿陣としました。本堂の畳を楯に鉄砲の打ち合いがあったともいわれています。

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29. 伏見土佐藩邸跡

鳥羽伏見の戦いで,土佐藩は鳥羽方面で警備についてましたが,前藩主・山内容堂は参戦を禁止,藩大目付の板垣退助は「薩摩と行動を共にせよ」と密命を出し,藩士の一部が参戦しました。

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30. 伏見長州藩邸跡

幕末の元治元年(1864)7月19日未明,ここ伏見長州藩邸から約500名の兵が京へ進軍。竹田街道を守る大垣,会津,桑名などの藩兵と衝突,禁門の変が勃発しました。彦根藩や他の連合軍が京橋から伏見藩邸を砲撃,伏見長州藩邸は焼け落ちました。

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31. 伏見口の戦い激戦地

幕末の慶応4年(1868)1月2日,鳥羽伏見の戦いが始まる前日夕刻,会津藩の先鋒隊約200名が大坂から船で伏見京橋に上陸して伏見御堂を宿陣としました。伏見奉行所に陣を置いていた幕府軍や新選組が民家に火を放ちながら淀方面へ敗走しましたので,このあたりの多くの民家が焼かれ,大きな被害を受けました。

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32. 坂本龍馬,避難の材木小屋跡

負傷した龍馬を肩に掛け,寺田屋から逃走した長州藩の三吉慎蔵は,途中の寺に探索者がいるのに気付いて方向転換。濠川端の材木小屋を見つけて忍び込み,龍馬をその小屋において伏見薩摩藩邸に駆け込みました。龍馬が潜んだとされる材木小屋は濠川の左岸にあり,石碑の 東南方にあったといわれています。

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33. 伏見薩摩藩邸跡

薩摩藩邸へは龍馬遭難事件のことをすでにお龍が知らせていたので,藩邸の留守居役の大山彦八は薩摩藩の旗印を掲げた船を出して龍馬を無事救出。龍馬とお龍は1月29日まで伏見薩摩藩邸に滞在した後,ふたりは傷の治療をかねて霧島温泉に向かいました。

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34. 贈従五位赤松小三郎先生記念(赤松小三郎遭難の地)

 赤松小三郎は,信州上田藩士で幕末の洋式兵学者です。
 慶応2年(1866)に京都で私塾を開いて英国式兵学を教えました。薩摩藩からも兵学教授への就任を請われ,薩摩藩邸にて兵学を教えました。
 帰藩直前の慶応3年(1867)9月,薩摩藩士に暗殺されました。
 京都市下京区東洞院通鍵屋町下る西側

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35. 後藤象二郎寓居跡

 このあたりは,土佐藩士 後藤象二郎が京都に滞在中,常宿とした醤油商「壷屋」があった所です。
 後藤象二郎は,慶応3(1867)年,坂本龍馬の大政奉還と新政府の設立案である「船中八策」を前藩主山内容堂に提出,これを土佐藩の藩論とし,「大政奉還建白書」として幕府に提出しました。同年10月13日,徳川慶喜がこれを受けて大政奉還を表明しました。
 京都市中京区河原町通三条下る二筋目東入南側

36. 無鄰菴

 明治・大正時代の政治家 山縣有朋の別宅。
 山縣有朋は長州藩(現在の山口県)の下級武士の家に生まれ、吉田松陰の松下村塾に入塾して学び、高杉晋作・木戸孝允・伊藤博文らと親交を結びました。高杉晋作の創設した奇兵隊に参加して頭角をあらわし、のちに奇兵隊の4代目の司令官となり、幕末維新期の騒乱において活躍します。
 山縣は、明治時代には第3代内閣総理大臣となるという立身出世を成し遂げたため、伊藤博文と並んで明治のサクセス・ストーリーの代表的人物の一人といえます。
 また山縣は庭園に自然な風景を作ることで心地よい空間を構築するといった、庭園に関する知見も広かったため、無鄰菴の作庭を通じて、七代目小川治兵衛に新たな庭園観のインスピレーションを与えた一人といわれています。

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見どころ(名所旧跡等)

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1. きぬかけの路

 金閣寺、龍安寺、仁和寺の3つの世界文化遺産を巡る全長約2.5キロメートルのルート(観光道路)です。京都府立堂本印象美術館や等持院もほど近く、国内外の多くの観光客が訪れます。

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2. 北野かいわい

 学問の神様・菅原道真をまつる北野天満宮をはじめ、桜の名所として知られる平野神社や方除け・厄除けの神として崇敬を集める大将軍八神社などがあります。また、京の五花街の一つ「上七軒」の「北野をどり」は、京の春の風物詩として多くの人に愛されています。

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3. 岡崎かいわい

 大鳥居がひときわ目をひく平安神宮は、明治28年に平安建都1100年を記念して造営されました。周辺には、琵琶湖疏水をはじめ美しい庭園群や文化財、ロームシアター京都、京都市美術館、京都市動物園などの文化・交流施設が集積する京都屈指のカルチャーゾーンです。

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4. 四条河原町かいわい

 京都市内最大級の繁華街。百貨店やファッション専門店、飲食店、映画館などが集まります。お土産店などが並ぶ新京極や京の台所と呼ばれる錦市場もすぐ近くです。坂本龍馬最期の地など幕末関連の史跡も数多くあります。

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5. 東山かいわい

 四季折々に変化する東山三十六峰を背に、世界文化遺産の清水寺や銀閣寺をはじめ、平安神宮、南禅寺、知恩院、八坂神社など、京都を代表する寺院・神社が点在しています。また、芸妓さん、舞妓さんが歩む祇園など、見どころがたくさんあります。

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6. 山科かいわい

 京都盆地の東に山科盆地があります。古くから交通の要衝として発展し、忠臣蔵の大石内蔵助ゆかりの大石神社や岩屋寺、小野小町ゆかりの隨心院をはじめ、勧修寺、毘沙門堂など多くの歴史ある寺院・神社があります。

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7. 京都駅かいわい

 国際文化観光都市・京都の玄関口である京都駅かいわいには、浄土真宗を開いた親鸞聖人ゆかりの西本願寺、東本願寺があり、周辺には仏壇仏具店が並びます。京都タワーの展望室や京都駅ビル屋上からの京都の景色も格別です。

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8. 東寺かいわい

 平安建都以来の1200年余りの歴史を誇る東寺は、国宝の五重塔、金堂をはじめ大伽藍が並ぶ密教文化の宝庫です。また近くに、平安京の表玄関であった羅城門の跡のほか、梅小路公園には京都水族館や京都鉄道博物館(2016.4.29開館)などがあります。

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9. 嵐山かいわい

 嵐山一帯は、平安時代以来、風光明媚な地として知られ、天皇や大宮人が春の桜、夏の新緑、秋の紅葉、冬の雪景色と四季折々の風情を楽しんだところです。「源氏物語」や「平家物語」などの文学作品の舞台ともなりました。

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10. 伏見桃山かいわい

 良質の水が湧くことから、古くは「伏水(ふしみ)」とも呼ばれました。日本酒の産地として酒蔵が並び、風情ある町並みとなっています。豊臣秀吉が築いた伏見城の城下町として知られるとともに、御香宮神社や寺田屋などは幕末維新の舞台となりました。

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11. 醍醐かいわい

 京都・滋賀・奈良に通じる街道が交わり、万葉の時代から交通の要衝として開けました。世界文化遺産にも登録され、豊臣秀吉が「花見の宴」を催したことでも知られる醍醐寺など多くの寺院・神社があります。また平安時代に貴族の別荘地であった「日野」は、浄土真宗を開いた親鸞聖人誕生の地でもあります。

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見どころアイコン見どころ

特産品

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京菓子

 京都御所の周辺には、宮中や公家、神社仏閣の御用達(ごようたし。ごようたつ、とも)として日常品や儀式道具を作る多数の匠たちが集まりました。京菓子もその一つで、祝い事の上用饅頭(じょうようまんじゅう)はナガイモが原料の蒸し菓子、味噌松風(みそまつかぜ)、干菓子の落雁(らくがん)、八つ橋、羊羹(ようかん)、葛(くづ)菓子。工芸や細工として展示する老舗も見られます。

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京漬物

 「京のぶぶ漬け」の皮肉もある京漬物ですが、北山や比叡山からの上質の水と土壌に育まれ、保存食として多くの種類の野菜が栽培されました。代表格の千枚漬けは聖護院蕪(しょうぎいんかぶら)を薄く丸く切り、甘味、酸味、昆布の旨味が合体。酸茎漬(すぐきづけ)も酸茎蕪を、塩漬け後、独特の天秤押(てんびんおし)によって発酵。柴漬(しばづけ)はナス、キュウリなどを紫蘇(しそ)の葉の色彩と酸味が特徴です。

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京野菜

 見た目よりも味覚を尊ぶブランド野菜として定着したとはいえ、伝統野菜の維持継承に苦労は尽きないようです。瓢箪(ひょうたん)のような形の鹿ケ谷(ししがだに)カボチャ、そば好きには欠かせない辛味大根(からみだいこん)、千枚漬けの聖護院蕪(かぶら)、壬生菜(みぶな)、賀茂茄子(かもなす)、長い伏見唐辛子(ふしみとうがらし)、堀川牛蒡(ほりかわごぼう)、九条葱(くじょうねぎ)など。寺社の精進料理(しょうじんりょうり)との結びつきにも深くかかわっています。

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京焼・清水焼

 「京焼」は、京都でつくられる焼物の総称で、特に清水寺近くの窯元で焼かれていた焼物を「清水焼」と呼びます。はじまりは奈良~平安時代と古く、江戸時代前期に野々村仁清(ののむらにんせい)や尾形乾山(おがたけんざん)らが絵画的な意匠を駆使し、独自の陶器へと変貌していきました。毎夏、五条坂では陶器まつりが行なわれ、全国から陶器を求める人々でにぎわいます。

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西陣織

 京都の「西陣」で織られる綴(つづれ)織、錦(にしき)織、緞子(どんす)など高級絹織物の総称で、平安時代の織部司(おりべのつかさ) 以来の伝統をひきついでおり、着物のほか、能衣装、ネクタイ、ショール、インテリア製品等にも使われています。

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京扇子

 京都では、宮廷の用、能、狂言、舞踊、茶、香などの用途に応じ様々な京扇子が生まれました。京扇子には非常に多くの種類があり、形状、素材など用途に応じた美の形が追求されています。

お知らせ・イベント情報