幕末維新の舞台

福山市

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 福山市は瀬戸内海の中央に位置し、市内に100万本のばらが咲く人口約47万人の都市。市南部に位置する「鞆の浦(とものうら)」は万葉の時代から海上交通の要衝で、潮待ちの港として栄えました。「福山」の名は、初代福山藩主の水野勝成が命名しました。

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福山市からのメッセージ

 嘉永6(1853)年、ペリー来航時に老中首座として合衆国大統領親書を受け取り、日米和親条約を締結して日本を開国へと導いたのが福山藩主の阿部正弘です。この歴史的決断により日本は近代国家へと動き出しました。

幕末維新の舞台

1. 福山城

 元和8(1622)年に築城され、廃藩置県に至るまで藩治の中心でした。宝永7(1710)年から阿部家が福山藩主となり、阿部正弘は第7代藩主です。幕末、福山藩は長州戦争に出陣し敗退、その後、長州に攻められ危機に陥りますが、家臣の奔走により和睦が成立し、福山城は戦火を免れました。
広島県福山市丸之内1丁目

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2. 重要文化財 太田家住宅及び太田家住宅朝宗亭

 幕末、尊王攘夷を唱える三条実美ら七卿は、文久3(1863)年8月18日の政変で公武合体派に敗れ京を脱出。長州への途中や翌年、再起をかけ京を目指す途上で鞆へ寄港し、保命酒業を営んでいた豪商中村家に立ち寄りました。現在の「太田家住宅」と「太田家住宅朝宗亭」で、「鞆七卿落遺跡」として県史跡に、建物は国重要文化財に指定されています。
広島県福山市鞆町鞆842

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3. いろは丸事件

 慶応3(1867)年、坂本龍馬ら海援隊が乗り込む「いろは丸」が紀州藩「明光丸」と瀬戸内海で衝突。鞆港に曳航される途中、鞆沖で沈没しました。近年の潜水調査により引き上げられた「いろは丸」の船体部品などの遺物が「いろは丸展示館」(登録有形文化財)で公開されています。また、坂本龍馬と紀州藩が宿舎とした場所や談判した場所が鞆に残っています。
広島県福山市鞆町

4. いろは丸展示館

 坂本龍馬率いる海援隊が、伊予大洲藩から借用し鞆沖で沈んだいろは丸の足跡を証する資料館。引き揚げ品や沈没状態のジオラマ、調査風景写真の展示の他、龍馬の隠れ部屋が再現されています。江戸期に建てられた太い梁など堂々たる建物(浜蔵)で、鞆の町では「大蔵」と呼ばれています。(国登録有形文化財)
広島県福山市鞆町鞆843番1号

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5. 桝屋清右衛門宅(ますやせいえもんたく)

 いろは丸事件の際、坂本龍馬と海援隊の隊士が宿泊したのが桝屋清右衛門宅。桝屋清右衛門は事件の際に海援隊を支援し、宿舎として提供しました。龍馬は階段のない2階の隠し部屋に寝泊まりしたと伝えられており、暗殺の危険もかえりみず談判にのぞんだ覚悟がしのばれます。
現在建物は、龍馬と鞆の関わりを紹介した展示やギャラリーとして活用されています。龍馬の隠れ部屋は観覧が可能。
広島県福山市鞆町鞆422番地

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6. 円福寺

 いろは丸事件の際、紀州藩の宿舎として使用されました。
 南林山円福寺は、室町時代から釈迦堂といい、現在の沼名前(ぬなくま)神社南側にありましたが、慶長年間末頃(1610年頃)に、大可島(たいがしま又はおおがしま)城跡に円福寺と号して建立されました。
 頼山陽の叔父・頼杏坪(らいきょうへい)は、瀬戸の島々や四国の讃岐山脈を遠望できる景観を賞して座敷を「夾明楼(きょうめいろう)」と命名しました。こうした景勝地にあり、かつて朝鮮通信使の上官の常宿になっていました。
 江戸時代の漢詩会、歌会、句会の舞台にもなり、1827年(文政10年)再建の松尾芭蕉の句碑もあります。
広島県福山市鞆町鞆10

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7. 福禅寺 対潮楼(たいちょうろう)

 海岸山千手院福禅寺の本堂に隣接する対潮楼は、江戸時代の元禄年間(1690年頃)に創建された客殿で、境内は国の史跡に指定されています。
 座敷からの海の眺めは素晴らしく、1711年(正徳元年)、朝鮮通信使の李邦彦(イパンオン)はその眺めを、「対馬から江戸までで一番美しい景勝地」を意味する「日東第一形勝」と称賛。
 1748年(延享5年)、洪景海(ホンキョンヘ)は「対潮楼」の書を残しています。
 いろは丸事件の際には,坂本龍馬と紀州藩との談判の場所になりました。
広島県福山市鞆町鞆2

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8. 魚屋萬蔵宅(うおやまんぞうたく)

 魚屋萬蔵宅は、坂本龍馬と海援隊士が宿泊した桝屋清右衛門宅と、紀州藩が宿泊した円福寺の中間にあることから、談判の地に選ばれました。
 現在は、江戸時代の町家のたたずまいを残した旅館(御舟宿いろは)になっています。アニメ映画監督・宮崎駿さんのデザインが取り入れられており、カラフルなステンドグラスをはめ込むなど、宮崎監督のアイデアが随所に生かされています。
広島県福山市鞆町鞆2

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見どころ(名所旧跡等)

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1. ばら公園

 福山市の中心部にあり、1万5千㎡の園内には280種・約5,500本の「ばら」が咲きます。5月には隣接する緑町公園のばら花壇とともに、福山市最大のイベント「福山ばら祭」のメーン会場となります。
福山市花園町1-6

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2. 文化ゾーン

 JR福山駅から徒歩5分圏内に、「福山城博物館」や「ふくやま美術館」を始め、個性派ミュージアムが立ち並ぶ文化ゾーンがあります。歴史・文化遺産と調和し、独特の魅力を持った都市景観を醸し出しています。
福山市丸之内1丁目ほか

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3. 明王院

 元応3(1321)年に建立の本堂と、貞和4(1348)年に建立の五重塔は、ともに国宝に指定されています。本堂には徳川家光と家綱の位牌が安置されています。
福山市草戸町1473

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4. 阿伏兎観音(磐台寺観音堂)

 沼隈(ぬまくま)半島の南端、阿伏兎岬(あぶとみさき)の突端に建つ朱塗りの観音堂は、1570年頃(元亀年間)の建築で国重要文化財です。昔から航海安全、また子授け安産の祈願所として広く知られています。
福山市沼隈町能登原1427-1

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5. 松永はきもの資料館

 松永地域は国内最大の下駄の生産地。田下駄から宇宙靴まで「はきもの」をテーマにした世界的にも珍しい資料館です。全国の郷土玩具も多数展示しています。
福山市松永町4丁目16-27

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6. 廉塾ならびに菅茶山旧宅

 京都で朱子学を学んだ江戸時代後期の儒学者・菅茶山(かん・ちゃざん)が、郷里の神辺(かんなべ)に帰って開いた塾で、頼山陽が塾頭を務めていたこともあります。特別史跡となっています。
福山市神辺町川北640

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7. 神辺本陣

 旧山陽道の宿場町神辺には2つの本陣がありました。現存するのは筑前黒田家専用の「尾道屋菅波家(西本陣)」です。施設全体が県史跡に、建物は県重要文化財に指定されています。
福山市神辺町川北528

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8. 二子塚古墳

 古墳時代後期に築造された西日本最後の大前方後円墳で、巨大な横穴式石室を有します。7世紀前後の西日本の政治状況を知ることができる古墳として国史跡に指定されています。
福山市駅家町大字中島・新山

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特産品

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保命酒

 16種類のハーブを漬け込んだ薬味酒で、江戸時代、福山藩の御用酒として備後の特産品として広まりました。ペリー来航の折、阿部正弘が老中首座であったことから、一行をもてなす饗応の席で保命酒がふるまわれたと言われています。

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福山琴

 楽器として初めて国の伝統工芸品に指定された福山琴。一つひとつ違う桐の木目の美しさと優れた音色が魅力です。全国の生産量の約7割を占めています。

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備後絣

 江戸時代末期に誕生した備後絣。家庭での手織りから機械化が進み、昭和30年代には国内シェア70%を占める福山の主産業へと発展しました。

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デニム

 江戸時代から綿花栽培と機織が盛んだった福山。日本三大絣の一つ「備後絣」は当地で生まれました。そうした織物技術が今ではデニムに生かされ日本一のデニム産地として発展。世界の名だたる一流ブランドから高い評価と信頼を得ています。

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びんご畳表

 高級畳表の代名詞ともいわれる「びんご畳表」。江戸時代初期には短いいぐさを利用した中継表が考案されました。早くから宮中や幕府の御用表や献上表として名声を博しています。

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松永下駄

 松永下駄は安価な大衆下駄として全国に広がり、機械化による大量生産で、昭和30年頃の最盛期には全国一の生産量を誇っていました。現在も日本下駄の5割を占めています。